鋼の翼

硬いようで脆いメンタルヘルス系大学生(♂)のブログです

俺、ちょっとロシアに行ってみようと思う(1)

どうも、寂しがりエアームドです。

突然ですが、私はこの夏にロシアに行こうと思っています。

もし夏まで無い内定でも行きます。だって、長年の夢なのですから。

 

なぜロシアに憧れを抱くようになったかを

順を追って説明したいと思います。

(最初に言っておきますが、ラブライブ!じゃないですよ!)

 

社会主義への漠然とした憧れを持った高校時代

絵に描いたようなアニオタ陰キャだった私は、

高校1年の時、「氷菓」というアニメにハマっていました。

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http://www.kyotoanimation.co.jp/kotenbu/

米澤穂信古典部シリーズを原作にしたこのアニメは、

京アニの美しいアニメーションと素晴らしい声優陣。

そして、何より原作を尊重した丁寧な作り。

今でも私の中では人生最高のアニメです。

 

それから私は米澤穂信(以下よねぽ)の他の作品も

読んでいくのですが、最も強い衝撃を受けたのが「さよなら妖精」でした。

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

 

ユーゴスラビアから(現在は崩壊済み。セルビアなどに分裂しています)

日本の地方都市に少女が留学に来るところから話は始まります。

外部の視点を持った彼女は、日本人は気にも留めないような疑問を抱きます。

古典部シリーズにおいては、好奇心旺盛なえるがその立場ですね)

その日常の中にある謎を主人公達が解決することで話が展開していきます。

 

話の顛末はここでは伏せさせていただきますが、

高校生の私にはあまりにも衝撃的な話で、

話の核になるユーゴスラビアという国に関心を持つのは当然のことでした。

 

そして、ユーゴについてどんどん詳しくなっていくと同時に、

社会主義に好奇心に近い憧れを持つようになります。

高校時代は「社会は間違ってる。俺は正しい」みたいな思想を持っていたので、

今思うとそれも影響したのかもしれません。

(あくまで社会主義者ではなく、社会趣味者だということは言っておきます)

 

ロシア文学と出会った浪人時代

そして、社会趣味者になった私がロシアに興味を持ったのは当然のことでした。

(ユーゴのチトー主義とソ連スターリン主義は別物ですが)

 

ロシアに興味を持った私は、

とりあえず最もメジャーなロシア人作家の最もメジャーな作品を手に取りました。

ドストエフスキーの「罪と罰」です。

罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫)

 

この小説にも私は強い衝撃を受けました。

殺人を犯した主人公・ラスコーリニコフの揺れる心理が詳細に描写されており、

読者の私までなぜか罪悪感で苦しくなったことを覚えています。

そして、ラストシーンでソーニャ(ヒロイン)の慈愛に救われた気がしました。

(今思えば、あれはバブみだったのかもしれません)

 

それからドストエフスキーの他の作品や他の作家も読むようになるのですが、

その中でロシア人の性格と東方正教に強い関心を抱くようになりました。

 

「なぜロシア人はこんなにエモーショナルなんだろう?」

「このロシア人の愛国心アイデンティティの源はなんなんだろう?」

「領土が広大すぎて鬱になるってどんな感覚なんだろう?」

東方正教を篤く信じている人たちの生活はどんなものなのだろう?」

「なんでこんなに素直そうな人たちがキリスト教ツァーリを破壊して、

 社会主義に走ってしまったのだろう?」

 

数え切れないぐらい大勢の人が死んでいるので、これをロマンチックと言うのは

流石に不謹慎だと思いますが、やはり私にとってはとても魅惑的でした。

この頃は「大学でロシア文学をやりたい!」というぐらい

ロシアへの熱が高かったです。

 

 

冷静に考えて、ロシア文学にどっぷりハマり、

自身をラスコーリニコフに投影する浪人生って割とヤバイと思うのですが、

ロシアにはそれだけの魅力があるのだから仕方ないですね。(ということにします)

(※ちなみにロシアにはネクラーソフという詩人もいます)

 

続きます。

「ゲーム依存症」の「原因を推論する」

どうも、寂しがりエアムードです。

先日、ユーチューバーのKUNさんが「ゲーム依存症」について話していました。

彼の個人的な体験はともかく、すごく共感したので紹介したいと思います。


ゲーム依存症とかまだそんなバカな話してるんですか?【KUNラジオ】

 

詳しくは動画を見てもらえればいいと思うのですが、

端的に言うと、

「ゲームに依存すると、現実生活に支障をきたす」のではなく、

「現実生活から逃避するために、ゲームに依存している」のだ。

という主張です。

つまり、ゲーム依存に陥る順序に関して、逆転した議論がなされていると。

 

これは多少なりともゲームに嵌ったことのある人なら実感があるのではないでしょうか。

勉強や学校がめちゃくちゃ充実していれば、普通はゲームやネットの世界になんか嵌りませんよね?

「ゲーム依存」(ここではあえてこの言葉を使います)を脱するためには、

「ゲームを断つ」のではなく「リアルを充実させる」しかないのは当然なのです。

 

それなのに、なぜこのような低レベルな議論が繰り返されるのでしょうか?

 

「原因を推論する」ことの大切さ

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

 

 

この本は、私の学部で必ず読まされる方法論の本です。

これも詳しくは自分で読んでもらいたいのですが、

社会科学において、適切な理論を立てて研究を行うための手引きが

とても分かりやすく書かれています。

 

本の中では様々な議論がなされていますが、

その中で最も本質的な議論がこれだと私は考えています。

 

因果関係が成り立つための3つの条件

 

①共変関係があること

→原因と思われることが変化すると、

それにつれて結果と思われることが変化する


②前後関係が正しいこと

→当然だが、原因とされることが結果に先行して起こってる


③条件をコントロールしても共変関係があること

→ほかの条件を揃えたりコントロールしたうえでも、共変関係がある  

 

これにあてはめて「ゲーム依存症」の議論を考えてみます。

 

まず、この図を見てください。よくあるゲームと学力の相関図です。

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確かに「ゲームをたくさんしている子どもほど、学力が落ちる」ように見えます。

すなわり、ゲームと学力には因果関係があるようにぱっと見は見えますが、

三つの条件を一つずつ検証していきましょう。

 

まず、ゲームをする時間が増えれば、物理的に勉強に割く時間は減ります。

とりあえず①の条件はクリアと言ってもいいかもしれません。

 

しかし、②の条件を満たしているかは疑問です。

たとえ、「ゲームたくさんしている子どもの学力が低くても」、

「ゲームをたくさんしている子どもほど、学力が落ちる」とは限りません。

(前者を相関関係、後者を因果関係と言ったりもします)

KUNさんの言うように「勉強が面白くないから、ゲームに依存している」

という可能性を捨てきれないのです。

 

そして、③の条件に対しても疑問の余地があります。

例えば、「教育熱心な親の子どもは学力が高く」、

「教育熱心でない親は子どもにゲームを与える場合が多い」という事実があった場合、

一見「ゲームをたくさんしている子どもほど、学力が落ちる」ように見えます。

しかし、この場合の学力不振の原因はあくまで「親の教育への怠慢」で、

「ゲームをたくさんしていること」ではありません。

 

つまり、②と③の条件が成り立たないので、

「ゲームをたくさんしている子どもほど、学力が落ちる」

という因果関係が成り立ってるとは言えないのです。

(もし本気で検証するなら、一卵性双生児の片方にだけゲームを与えて、

対照実験するしかないと思います。人道的に無理ですが)

 

まとめ(というか自分語り)

幼い頃から感じていましたが、ゲームへの風当たりの強さは、

新しいものが社会に登場した時の風当たりの強さだと思います。

 

私は根っからのゲーマーなので、

ゲームに社会の問題の原因を押し付けるようなやり方に我慢がなりません。

 

いつか成功して、

「私はSplatoonを1500時間は遊んでたから、今の自分があります」

とか言ってみたいなあと思うのでした。

 

「普通」の大学生があえて「不登校小学生ユーチューバー」を擁護してみる

どうも、寂しがりエアムードです。

今回は巷で話題の「不登校小学生ユーチューバー・ゆたぼん君」についてです。

多くの著名人や教育関係の方、親御さんなど、様々な意見が飛び交っていますが、

私はあくまで「普通」の大学生として、意見を述べたいと思います。

 

確かに学校は「だるい」し、嫌な思い出ばっかり

まず議論に入る前に、私の立場を明確にしておこうと思います。

私はどちらかと言えば、学校が嫌いでした。

私は高校までずっと公立校に通っていたのですが、

いつも「なんでこんなことに従わなければならないのか?」と思っていましたし、

周りに合わせるのが嫌でたまりませんでした。

不登校ではないものの、年に10日は休みながらなんとか通っていたようなタイプです。

他の記事を読んでいただければ分かるように、辛い学校からの逃げ場として、

音楽や文学、ネットやゲームにのめりこむような灰色の毎日でした。

 

結局、私は一年浪人して都内でもそれなりとされる大学に入学しました。

そこで、大学の友人たちとの育ちの差に愕然とします。

テレビでしか聞かないような中高一貫の名門校や都内のトップ校の友人の中で、

神奈川の自称進学校出身の自分は明らかに浮いていました。

入学当初、自己紹介で「よくそこから入ったね笑」と言われたこともありました。

(流石にカチンと来ましたが)

 

でも、今はそんな学校生活を全否定は出来ない

そんなエリートの彼らと付き合っていると、彼らが恵まれた環境の中で、

のびのびと育ってきたことを感じました。

やりたいことをやっても何も言われない、

出る杭の叩かれない中で育ってきたのでしょう。

当初、そんな彼らを私はかなり羨んでいましたし、嫉妬していました。

「私は行きたくもない学校で、もがき苦しんできたのに」と。

 

しかし、彼らとずっと一緒に過ごしていると、

徐々に彼らの弱点が分かるようになってきました。

 

一番顕著だったのは、彼ら/彼女らに「恋愛のノウハウ」が全くないことです。

見るからの地雷に、超優秀なエリートたちは引っかかっていきます。

絶対関わり合いになりたくないタイプでも、盲目的に好きになってしまいます。

逆に、己にものすごい自信を持っているタイプもいます。

「なぜその容姿で、アニオタで、そんなに君は自分がモテると思うの?」と

思わず言ってしまいたくなるようなやつがいっぱいでした。(流石に言いませんが)

 

「普通」に考えれば分かるはずなのに。頭はめちゃくちゃいいのに、なぜなのだろう。

ある時、私は悟りました。

「ああ、これが無理にでも嫌いな学校に通った意味なのだ」と。

 

公立の学校(特に小中学校)は、人種のるつぼです。

だから、いい意味でも悪い意味でも人を見る目が養われます。

でないと、厳しいスクールカーストの中で生きていけないからです。

同時に、周りに多様な人種がいるほど、自己評価も相対化されます。

ヒョロガリがいくらイキっても、柔道部のDQNには勝てません。当たり前のことです。

 

「普通」の価値

「学校が嫌だ」という子は、原因がどこにあるかはそれぞれ違うだろうけど、

「自分が周囲と馴染めない」からだと思います。

周囲と違う。自己表現できない。そういう息苦しさを感じているのだと思います。

 

しかし、社会ではそれを「普通」だと思って(もしくは何も思わず)

生きていく人たちが圧倒的なマジョリティです。(数でも力でも)

だから、社会のマジョリティに近い環境で育つほど、人は自然と丸くなっていきます。

流れの速いところほど、岩が丸くなっていくように、です。

 

私は当時、それをすごく空しいことだと思っていました。

経済的に豊かでない人間は、個性すら伸ばせないのか、と。

しかし、上記の通り「普通」という感覚は今になって案外役に立っています。

 「普通が一番」みたいな薄っぺらい主張をするつもりはありませんが、

世の中で最も力のある「普通」を知っておくのは悪いことではないと思うのです。

 

なんで大の大人がそこまで叩くのか

話を戻しますが、だからこそ、私はゆたぼん君みたいな子がいてもいいと思うんです。

辛いなら逃げてもいいし、辛くても立ち向かってもいいし。

子供たちが彼に影響されてもいいし、反発してもいいし。

 

でも社会で生きていく以上、どこかで「普通」じゃないつけを払わされるんですよね。

悲しいけど、ずっと尖ったまま生きていけるのは本当に一握りの人だけだと思います。

 

だから、それが一番分かってるはず大人たちが

この件に目くじらを立てているのが私には理解できません。

「何で10歳の子供に、いい歳してガチギレしてんの?」って思うのです。

甘いなら甘いで、青臭いなら青臭いでいいじゃないですか、子供なんだから。

(確かにお父さんはキモいですけど、キモい親なんて無限にいますよね) 

 

とにかく。誰だって若気の至りはあると思うのです。

たとえ彼の主張とやり方に色々問題があるとしても、

「小学生の子を社会全体で叩くのは流石にヤバい。トラウマになって将来自殺でもしたらどうするんだ」という私の感覚はおかしいのでしょうか。

それに過度な社会の反応は、彼が自分を相対化する機会を奪いかねないと思います。

 

今回の炎上は、本人を苦しめ、父親がほくそ笑むだけの結果に思えてなりません。

ちょっとみんな頭を冷やした方がいいんじゃないのかと思うのです。

 

フジファブリック・志村正彦の詩学

こんにちは、寂しがりエアムードです。

今回は自分が人生で最もハマったバンドであるフジファブリックについてです。

 

フジファブリックの基礎知識はここでは省かせていただきます。

知らない人はホームページとかwikiで調べてください。

代表曲は「若者のすべて」「銀河」「桜の季節」あたりでしょうか。

この三曲以外にもYOUTUBEにMVが何曲かありますので、ぜひ聴いてみてください。

 フジファブリックは、志村正彦 (Vo&G)を中心に2000年に結成された日本のロック・バンド。2002年にインディーズで1stミニアルバム『アラカルト』をリリース。2004年4月、現メンバー3人を含む5人編成でシングル「桜の季節」でメジャーデビュー。2009年12月24日に志村が急逝するも、バンドは残されたメンバーで活動を継続することを表明。2011年夏より山内総一郎 (Vo&Gt)、金澤ダイスケ (Key)、加藤慎一 (Ba)の3人による新体制で本格的に再始動する。

wikipediaより

上にも書いてありますが、ギターボーカルでバンドの中心人物だった

志村正彦さんは2009年の12月、今から10年ほど前に亡くなっています。

現在は志村さんを除いた3人でフジファブリックとして活動しています。

 

 

フジファブリックとの出会い

自分がフジファブリックに出会ったのは、高校生1年生の2012年のことでした。

軽音部にフジファブリックをメインでコピーしていた先輩たちがいたのですが、

初めて「銀河」のイントロを聴いた時のものすごい衝撃を鮮明に覚えています。


フジファブリック (Fujifabric) - 銀河(Ginga)

そして、ボーカルが既に亡くなっていることを知って私はさらにビックリ。

思春期の私はフジファブリックの世界にどんどんハマっていきました。

当時は何も考えずにただヘビロテしていましたが、

少し大人になった今、フジの何が良いのか思っていることをまとめてみます。

 

 

「最高に情けなくて、最高にかっこいい」

フジファブリックの魅力は、一言でいうと「情けなさ」だと思います。

志村さんの書く歌詞の主人公(僕・俺)って、大体女々しくて、弱っちいんです。

だから、冷静に歌詞だけを読むと、笑っちゃうぐらい情けなくなります。

でも、矛盾しているようですが、それが最高に「カッコいい」んですよね。

 

ここでは、いくつか実際の歌詞を紹介したいと思います。

歌詞の解釈は人それぞれなので、私の解釈を押し付けるのは野暮なことですが、

誰かの役に立つかもしれないので、私なりの解釈を書いておきます。

 

まずは一番の代表曲である「若者のすべて


フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて

「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな

会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

(中略)

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな なんてね 思ってた

まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら

僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

 

AメロBメロは、僕が現在置かれている状況を説明しています。

しかし、それらはすごく背景的に描写されていて、

僕はあんまり興味のなさそうな、上の空な印象を受けます。

 

サビでは、主人公が花火を見ながら、昔好きだった人のことを考えています。

青春の頃、言えなかった気持ちを「目の前の花火を見ずに」目を閉じて浮かべているのです。何年たっても未練たらたらです。

Cメロの「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」というフレーズ。

クリシェのコード進行も相まって、相当な未練が感じられます。

 

しかし、ラスサビでなんと。

「ないかな ないよな なんてね 思ってた まいったな まいったな 話すことに迷うな」

その人にばったり出会ってしまいます!

いざ会ったはいいものの、なんと切り出していいか分からない僕。

 

でも、「最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」

ここだけ「僕ら」になっているのも、「目を開けて」空を見上げているのも

僕が一歩前に進めたことを表しているのではないでしょうか。良かったね。

 

フジの一番の代表曲である「若者のすべて」ですが、

正直に言えば、初めて聴いた高校生の時はあまり良さが分かりませんでした。

もし「若者のすべて」の歌詞が染みるようになってきたということは、

あなたも真夏のピークが過ぎて、大人になってしまったということなのかもしれませんね。

 

逆に、今高校生のあなたに聴いてほしいのは「桜の季節」


フジファブリック (Fujifabric) - 桜の季節(Sakura No Kisetsu)

桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?

桜のように舞い散って しまうのならばやるせない

oh ならば愛をこめて so 手紙をしたためよう

作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては 感動している

(中略)

 

春は出会いと別れのシーズンと言いますが、

これは「桜の季節が過ぎたら、好きな人が遠くの町に行ってしまう」という曲です。

 

個人的に好きなフレーズは、

「作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては感動している」というところ。

皆さんも自分の書いたラブレターを何度も読み返した経験ってありますよね。

一晩立って冷静に読むと鳥肌が立ってしまうような内容でも、

書いてる時はなぜか素晴らしいものに思えるラブレターの不思議が

よく表現されてると思いませんか?

 

最後に、少しサイケデリックな「パッションフルーツ


フジファブリック (Fujifabric) - パッション・フルーツ(Passion Fruits)

夢の中で あやかしパッション

響き渡るファンファーレ

僕は踊る道化師のようだね

ゆうべの君は 悪の化身で

例えるならバンパイア

甘く熟れた果実のようだね

(中略)

含み笑いが素敵だね

メガネはどうか そのままで

だからからかったら からかったら ダメ

手を取り円を作らせてくれ

魔術師 手品師 手を変え品

そして禁断の約束しよう

(中略)

 

さっきから歌詞の話ばっかりしていますが、もちろん私はフジの曲自体も大好きです。

フジの音楽はロックからダンス、バラードからサイケデリックな曲まで、ジャンルにとらわれないと説明されることが多いですが、

この「パッションフルーツ」はシタールの印象的なサイケデリックなナンバーとなっています。

 

これは自分も今知ったことなのですが、

"passion"は普通「情熱、情欲」などと訳されますが、(日本語化してますね)

しかし、"passionfruit"の"passion"は「受難」の意味で「情熱」ではありません。

トケイソウ - Wikipedia

 

それを志村さんが知っていたかどうかは分かりませんが、

「君」に夢の中でまで踊らされる「僕」。

「君」はメガネをしたちょっとSっ気のあるお姉さんなのかもしれません。

甘く熟れた果実のようなフェロモンむんむんの「君」と「僕」は禁断の約束をします。

 

禁断の約束ってなんなんでしょうか?すごく童貞臭いですよね。

パッションフルーツってよりもむしろチェリー

 

 

等身大のヒーロー・志村正彦

世間一般的に見て、童貞って情けないものだと思います。

女の子の肌に指一本触れたことすらなくて、

隣の席の女の子に消しゴムを拾ってもらっただけでドキドキして、

すごく情けないし、馬鹿にされるような存在です。

 

だけど、それを「ピュアさ」「純粋さ」だと初めて肯定してくれたのが、

フジファブリックというバンドでした。

だから、志村さんの歌詞は、自分に自信のないやつほど染みるのです。

私が思春期にフジファブリックに出会えたことは本当に幸運だったと思っています。

 

志村さんは29歳で亡くなりました。死因は分かっていません。

世間では様々な憶測が飛び交っていますが、

彼が何を考え、どのように死んでいったか知るすべはもうありません。

しかし、フジファブリックを聴くたびに私はこう思います。

志村正彦は、この社会で生きていくにはあまりにも綺麗すぎた」のだと。

 

別に神格化するつもりはありませんが、

私にとって、彼はいつまでも「等身大のヒーロー」です。

生きているうちに一度ライブに行きたかったですね。

これは一生消えない後悔になると思います。

 

最後に、志村さんのご冥福をお祈りいたします。

ありがとう、フジファブリック。これからも頑張れ!

僕が初めてポケモンを買ってもらった日(1)

こんにちは、寂しがりエアムードです。

なぜこんなHNを使ってるかの経緯とともに、

ポケモンの思い出について書きたいと思います。

 

僕は1996年生まれなのですが、

ポケモンは自分が物心付いた時から子ども達の間で大人気でした。

同世代なら幼稚園や小学校低学年の頃に、

ポケモンごっこ(?)をした方も多いのではないでしょうか。

そんな中、ゲームを持ってない僕は寂しい思いをした記憶があります。

 

僕がやっとポケモンを買ってもらえたのは、小学3年生の時でした。

ファイアレッド、最初に選んだのはヒトカゲだったことを覚えています。

スタートボタンを押せばメニューを開けるのを知らず、

3日ぐらいレポートを書かずに遊んでたのも今となってはいい思い出です。

 

今思えば、ゲームは僕にとって当時の辛い家庭環境からの逃げ場でした。

こんな話に誰も興味はないかもしれませんが、ここで吐き出させてください。

 

僕が小学1年生のある日、母が突然号泣しだしました。

そして、全く意味の分からないことを口走るのです。

僕と弟が呆然としていると、父が母を抱きかかえて慰め、

僕たちに「向こうに行っていろ!」と怒鳴るのです。

それからどうなったかは記憶に残っていませんが、

その光景だけは今でも鮮明に覚えています。

 

今思えば、

母はその少し前から夕飯中に突然英語のレッスンを始めて上機嫌になったり、

「ちびまるこちゃん」の内容に激怒したりと、情緒不安定なことがありました。

その頃から母は少しおかしかったのかもしれません。

 

結局、それから母は一年間ほど寝たきりになりました。

代わりに父方の祖母が来て、僕たちの面倒を見てくれました。

(失礼だけど、料理が本当に下手だった。なぜか全部が甘い。)

一度、母は深夜に夢遊病患者のように家を抜け出して、

父と弟がマンションの屋上で飛び降りようとしている

母を引き止めたこともあったそうです。

 

後から知ったところによると、母は統合失調症パニック障害の診断でした。

子育てや人付き合いのストレスが原因だったようです。

 

やっと寝たきりから復活した母は以前とは別人のように、

無気力な人間になっていました。

僕が学校での出来事を話しても生返事しか返してくれなくなりました。

幼心に人がここまで変わってしまうことに強いショックを受けました。

 

僕の小学校時代は母が倒れたことを皮切りに、様々な苦難が我が家を襲ってきました。

僕はそれから逃れるようにますますゲームの世界にのめりこんでいきます。

 

次回に続きます。

 

自己紹介

はじめまして。寂しがりエアームドと申します。

絶賛就職活動中の都内の大学四年生です。

 

自分の抱えてきた闇について相談できる相手がいないため、

「そうだ!ブログで書き殴ればいいんだ!」と思い立って始めました。

厳しい意見から傷の舐めあいまで大歓迎ですので、

ぜひご意見を頂けると幸いです。

 

趣味は音楽と小説、ゲーム、旅行など。

大学では政治とジャーナリズムを専攻しています。

どうしてもその手の話題が多くなると思うので、よろしくお願いします。