鋼の翼

硬いようで脆いメンタルヘルス系大学生(♂)のブログです

僕が初めてポケモンを買ってもらった日(1)

こんにちは、寂しがりエアムードです。

なぜこんなHNを使ってるかの経緯とともに、

ポケモンの思い出について書きたいと思います。

 

僕は1996年生まれなのですが、

ポケモンは自分が物心付いた時から子ども達の間で大人気でした。

同世代なら幼稚園や小学校低学年の頃に、

ポケモンごっこ(?)をした方も多いのではないでしょうか。

そんな中、ゲームを持ってない僕は寂しい思いをした記憶があります。

 

僕がやっとポケモンを買ってもらえたのは、小学3年生の時でした。

ファイアレッド、最初に選んだのはヒトカゲだったことを覚えています。

スタートボタンを押せばメニューを開けるのを知らず、

3日ぐらいレポートを書かずに遊んでたのも今となってはいい思い出です。

 

今思えば、ゲームは僕にとって当時の辛い家庭環境からの逃げ場でした。

こんな話に誰も興味はないかもしれませんが、ここで吐き出させてください。

 

僕が小学1年生のある日、母が突然号泣しだしました。

そして、全く意味の分からないことを口走るのです。

僕と弟が呆然としていると、父が母を抱きかかえて慰め、

僕たちに「向こうに行っていろ!」と怒鳴るのです。

それからどうなったかは記憶に残っていませんが、

その光景だけは今でも鮮明に覚えています。

 

今思えば、

母はその少し前から夕飯中に突然英語のレッスンを始めて上機嫌になったり、

「ちびまるこちゃん」の内容に激怒したりと、情緒不安定なことがありました。

その頃から母は少しおかしかったのかもしれません。

 

結局、それから母は一年間ほど寝たきりになりました。

代わりに父方の祖母が来て、僕たちの面倒を見てくれました。

(失礼だけど、料理が本当に下手だった。なぜか全部が甘い。)

一度、母は深夜に夢遊病患者のように家を抜け出して、

父と弟がマンションの屋上で飛び降りようとしている

母を引き止めたこともあったそうです。

 

後から知ったところによると、母は統合失調症パニック障害の診断でした。

子育てや人付き合いのストレスが原因だったようです。

 

やっと寝たきりから復活した母は以前とは別人のように、

無気力な人間になっていました。

僕が学校での出来事を話しても生返事しか返してくれなくなりました。

幼心に人がここまで変わってしまうことに強いショックを受けました。

 

僕の小学校時代は母が倒れたことを皮切りに、様々な苦難が我が家を襲ってきました。

僕はそれから逃れるようにますますゲームの世界にのめりこんでいきます。

 

次回に続きます。